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山口の旅と歴史
山口の旅    萩市

松陰幽囚ノ旧宅
しょういんゆうしゅうのきゅうたく
山口県萩市大字椿東


 安政2年(1855)吉田松陰は保釈されて父親の預かりとなり一年半、この杉家の4畳半の幽囚室で講義を始めたそうです。その後松下村塾で一年間教え高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などを育てました。
 吉田松陰は文政13年(1830)長州藩の下級武士の杉百合之助の二男として萩の松本村に生まれました。松陰には、他家に養子に行き家督を継いでいた長州藩の兵学師範(山鹿流兵学)であった吉田大助と松下村塾を興した玉木文之進という二人の叔父がいました。大助に跡継ぎがなかったため吉田家へ養子に入りました。大助が急死したため6歳にして吉田家の家督を継ぎ、藩校明倫館の兵学師範になる宿命を背負ったのです。
 山鹿流免許皆伝であった玉木文之進の厳しい教育で11歳の時に、藩主毛利敬親の前で山鹿流「武教全書」を講義し天童と言われたのでした。
 嘉永7年(1854)1月、ペリーの2度目の来航の際、金子重之助とともに密航計画を企て野山獄に幽囚、その後この幽囚室と松下村塾で講義を続けました。老中の間部詮勝の暗殺を企てたことで捕らえられ、江戸に送られ帰らぬ人となりました。


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