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山口の旅と歴史
山口の旅    萩市

松下村塾
しょうかそんじゅく
山口県萩市船津の1


 松下村塾というのは松蔭が子供の頃に叔父の玉木文之進が開いていた塾です。文之進が藩から抜擢されたので松蔭の外叔の久保五郎左衛門があとを継ぎました。安政4年(1857)松蔭がそのあとを継いだのでした。
 この時、松蔭は幽囚の身であったのです。嘉永7年(1854)1月、ペリーの2度目の来航の際、金子重之助とともに密航計画を企て野山獄に幽囚されたあとでした。
 ここで高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、維新の指導者となる人材を教え育てました。門弟がふえたことから8畳の建物から10畳半の2間に増築しています。
 安政5年(1858)年7月には藩から家学教育の許可もでましたが、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結んだことで、老中の間部詮勝の暗殺を企て再び投獄されました。安政6年(1859)5月江戸に送られ、安政の大獄により処刑されてしまいました。29歳という若さでした
 この松下村塾は、杉家の物置小屋を改築したもので、質素な小さな建物です。藩が作った学校である明倫館へ入学できないような下級武士の子弟が多く学んだことも有名な話です。


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