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韓国の旅    釜山

 韓国の代表的な国際貿易港である釜山は、日本はもちろん西ヨーロッパへの海路も通じている国際都市です。ソウルに次いで第2の首都としての機能も果たしています。
 西は洛東江(ナクトンガン)、南は青い海に接していて、海辺にある数々の海水浴場や島、また歴史の深い寺院などもあり観光客に人気の高い都市です。
商店街の狭い一角から龍頭山公園へいけるエスカレーターに乗ります。
 毎年秋に開かれる釜山国際映画祭には世界中から映画ファンが集まるアジア最大の映画祭として認知され始めています。


龍頭山公園
ヨンドゥサンコンウォン
 龍頭山の標高180mの高台にある公園です。公園は釜山港開港と同じくしてつくられたという古い歴史があります。公園の中央にそびえる120mの白い釜山タワーは市のシンボルでもあります。
 タワーの前には韓国の英雄である李氏朝鮮時代の武将李舜臣将軍の像が日本の方を向いて仁王立ちしています。タワー前の広場では白いパジチョゴリを来たハラボジ(おじいさん)たちが悠々と囲碁や将棋を楽しんでいました。
 釜山と下関間の最初の連絡船の就航は1905年です。1世紀近くと釜山と日本との関係は長く続いています。影島橋のたもとに立つ記念碑には、「この橋は、釜山の人口が16万人のころから、町の発展を見守ってきた」と記してあります。現在では380万人のソウルに次ぐ韓国第二の大都市になっています。
 朝鮮戦争(1950〜53年)の初期、北朝鮮軍の侵攻に米軍・韓国軍は後退を重ね、釜山地域に押し込められました。避難民は釜山に殺到し、その後、生活苦で橋から身を投げて自殺した人も大勢いたそうです。
 1592年4月、豊臣秀吉は21万人という大規模な兵を朝鮮に送り込みました。韓国でいう壬辰倭乱は朝鮮民族にいやし難い傷を負わせました。豊臣軍は5月にソウル、6月にはピョンヤンを攻略しました。
 秀吉の夢はまさに実現寸前でした。その野望を打ち砕いたのが李舜臣将軍です。戦局を転換させる重要な役割を果たしたのは亀甲船(コブッソン)でした。李将軍の率いる水軍がこれを駆使して反撃したのでした。
 前方には竜頭を作り、その口下には銃口が、竜尾にもまた銃口があったそうです。船形が亀のようであったので亀甲船と呼ばれました。きりのようなものを船全体にさしてあり船に乗り込もうとすると刺さって命を落としたそうです。



冷麺
ネンミョン
 冷麺には日本人にもおなじみの水冷麺(ムルネンミョン)と、ビビン冷麺の2種類があります。水冷麺は肉がダシのスープに麺をいれて食べます。辛くなくすっきりとした味わいです。ビビン冷麺は具と麺に唐辛子みそを入れ、混ぜて食べる汁のない冷麺です。



国際市場
クッチェンジャン
 地下鉄チャガルチ駅からチャガルチ市場と反対の方向に歩いていくと、小さな商店街がひしめき合う一帯にぶつかります。ここが国際市場です。鞄、眼鏡、電気製品、服、靴、食品、薬、雑貨、何でも有りの市場です。
 朝鮮戦争直後のヤミ市から始まったそうです。チャガルチ市場が庶民の台所だとすると、ここは庶民のデパートという感じです。
  道は縦横に走っており、その道の中央にはビーチパラソルが立ち並び屋台となっている。そこでは、キムパプ(のり巻きの韓国版)などが売られています。



ジャカルチ市場
 チャガルチとは砂利場の意味だそうです。朝鮮戦争直後、漁港の横手に広がるジャリ場で水揚げされたばかりの魚を売ったのが始まりだそうです。
 アジアでも最大級の魚市場になっています。船着き場に張り付くように市場の建物が有り、1階で魚が売られ、2階では買った魚を持ち込めば調理して食べられるようになっています。
 ここで魚を販売したのが殆どおばさん達でしたので、ここで働く全てのおばさん達を 「ジャカルチおばさん」と呼んでいるそうです。
 海岸の道路沿いには木製の箱の上に鯖, ほや ,たこ、太刀魚など所狭しと並べられています。道路の方までしっぽが出ていて踏みそうになるくらいです。毎年10月にはジャガルチ文化観光祭りが開催されています。
 6階建ての新東亜水産物市場と3階建ての水産市場ビルあたりが中心になっています。周辺には干物専門市場もあります。



ホテル・コモド
 釜山市内の中心部、釜山港を見下ろす高台に位置し、韓国情緒にあふれた宮殿のような外観のホテルです。ロビーなどの公共スペースも韓国伝統風の装飾が施され、他のホテルにはない情緒があります。「中央洞」駅までは徒歩で10分程度です。



西面
ソニョン
 釜山の副都心で地下鉄1号線と2号線が交差する交通の要衝になっています。釜山市庁が近辺の蓮堤区へ移転してから大型デパート、ショッピングモール、大型ホテルなどがぞくぞく誕生し、 釜山での最大の商圏として浮上しました。
 西面ロータリーを中心にロッテホテルやロッテデパート、現代デパートなどの周辺はいつも賑わっています。この一角は高級文化層の範疇です。大通りや市場の路地には屋台も出ています。
 左写真のミリオレなど西面一番街、ネオスポ、ジオプレース、大賢地下商店街 などは若者世代の庶民文化層をターゲットにしています。

 韓国旅行で必ず食べて帰りたいのがカルビの焼肉です。西面の焼肉屋さんで食べました。最初にカルビ、そのあとロースを注文すると怒られるというのでカルビだけ日本語のメニューから注文しました。なんでも味の濃いカルビを食べたあとにロースではまずくなるということでした。
 焼肉を注文すると必ず、サンチュ(レタスのような葉)、ごまの葉、にんにく、唐辛子、きゅうり、人参などの生野菜とキムチ、それとたくさんのおかずが出てきます。しかもすべて料金の中に含まれているのです。
 肉は切ってない状態のまま出てくることがほとんどで、肉が半分くらい焼けたら、女性の店員さんが来てはさみでジョキジョキ切ってくれます。ビールを頼んだら水がきました。どうも韓国の人は勘が悪いです。



釜山ロッテホテル
 釜山ロッテホテルといえば釜山で一番有名なホテルです。日本からのツアーでも立地の利便性、機能性などからもよく利用されているようです。
 釜山ロッテホテルの43階860室の超豪華な客室は他に類を見ない世界一流ホテルです。
 空港行きのリムジンバスの停車場にもなっています。チケットもホテルで買うことが出来ます。



海雲台
ヘウンデ
 20世紀初に温泉として開発され、結核患者などの療養所として使われました。今では温泉も有名ですが美しい海水浴場として整備され韓国で人気のある海水浴場リゾ‐トとなっています。
 広安里からさらに東の海岸付近になります。地下鉄2号線が海雲台まで開通して便利になりました。この付近の乗降客はまだ少なくホームが広く見えました。
 砂浜の砂はサラサラしているため体についてもすぐに落ちる特徴があり、毎年夏になると国内外からたくさんの観光客が海水浴を楽しんでいます。オフシーズンでも潮風を受けて砂浜を歩いたり凧を揚げたりする人がいました。土産物屋や飴売りなどもいました。
 海水浴場から椿島(ドンベックソン:)が見えます。この島は陸地に繋がっていて島ではないのです。椿の花が有名でのどかな散歩道は風情があるようです。冬柏島とも呼ばれています。
 「海雲台」の海岸に立つと、チョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」の歌詞に出てくる二つの島、「冬柏島」と「五六島」が一望に見えます。
 この歌詞では、釜山に春が来て「冬柏島」に花が咲いても戻らない「兄」に「帰れ」と呼びかけています。「五六島」の方に向かう連絡船に叫んでも、答えはありません。
 なぜ「兄」に呼びかけているのでしょう。在日の韓国人が韓国訪問を開始しはじめた時期で、日本に住んでいた兄を思い、引き裂かれた家族の心情を歌ったものだったといわれます。
 海雲台という名前は新羅時代(BC 57?AD 935)の学者である崔致遠(857~?)先生が冬栢島の近くを 訪れたとき, 景色に感動して 冬栢島にある岩壁に「海雲台」という 文字を刻んだことに由来しています。

 
海雲台近くの繁華街と市場。


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