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世界の旅   板門店・南侵トンネル


板門店
 韓国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との間は国境ではなく軍事境界線(休戦ライン)が敷かれています。1950年に勃発した朝鮮戦争は1953年に休戦協定を結んで以来50数年、いまだ2つの国は休戦したままなのです。これは世界史上で一番長い休戦、といわれています。
 軍事境界線は東の日本海から西の黄海まで朝鮮半島を南北に分断し、総延長は240kmに及んでいます。その軍事境界線を中心に幅2kmの地帯を、DMZ(DeMilitarized Zone・非武装地帯)と呼んでいます。その地域では軍備の配備は禁止され、一般の民間人も入ることができません。
 板門店はソウルから北へ60kmぐらいのところにあります。1950年から3年間続いた朝鮮戦争の休戦協定がこの村で調印されました。
 フィリピン軍の参戦記念碑や韓国軍の肉弾十勇士のモニュメントなどを見て臨津江に架かる自由の橋に行きます。国連キャンプのゲートを通り「勇士の家」で板門店の説明を受けます。ジーンズなどの服装は禁止されていますし、子供も入れませんでした。
 「自由の村」の横を通って板門店共同警備区域に入ります。北朝鮮の兵士もすぐ目の前にいました。韓国側の兵士は何がおきてもすぐ対処できるように身構えたり、行軍したりしていました。かなり緊迫した空気でした。
 軍事停戦委員会会場は直径800mの円形の地形に位置していてほこりをかぶっているテーブルの上にマイクが設置されていました。マイクは2本横になっていてケーブルとマイクが境界になっていました。
 本会議場手前に「自由の家」があり板門店のシンボルになっています。展望室からは共同警備区域を見渡すことが出来ます。
 韓国側が管理する建物は青に塗られています。また北朝鮮が管理している建物は白に塗られていました。韓国側がピリピリしている割には北朝鮮側の兵士はのんびりした印象を持ちました。



 軍事分界線の真ん中を通るのが「帰らざる橋」です。1953年の休戦以後この橋で捕虜の交換が行われました。「帰らざる橋」というのは捕虜交換の時一旦南か北かの方向を決めたら2度とこの橋を渡って帰ることができないことからつけられたそうです。
 1976年、監視小屋の視界を妨げていたポプラの木を、国連側が切ろうとした際に北朝鮮側から攻撃を受け、アメリカのボニファス大尉が殺害されました。「キャンプ・ボニファス」の名前の由来です。その場所に造られた碑です。
 「ポプラ事件」では国連軍の兵士が二人と北朝鮮の兵士三人が犠牲になりました。橋の手前には、国連兵士が監視する青い建物があります。橋の向こう側には北側の監視小屋が見えました。



南侵第三トンネル
 イムジンガンを越えると道路は左折と直進に別れています。直進すれば板門店、左折すれば南侵第三トンネルへと向かいます。1978年10月、あるトンネルが発見されました。このトンネルは北朝鮮が韓国へ侵入するために掘ったトンネルといわれ、南侵第3トンネルと呼ばれています。
 地下約75mにあるこのトンネルより1時間で1個師団兵力の輸送が可能と言われています。この他に3つのトンネルが発見されています。
 第1トンネルは偶然に発見されたものですが、第2、第3トンネルは1975年に北朝鮮から亡命して来た人からの証言によって発見されました。第4トンネルは1990年に発見されたものです。この他にも10個くらいトンネルが掘られているのではないかとみられています。
現在、第3トンネルはツアーとして一般の外国人観光客に公開されています。 ソウルを奇襲する目的で掘ったトンネルは幅2メートル、高さ2メートルで、深さは73メートル、そして最深部まで約270メートルもあります。すれ違いもままならない通路でした。


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