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世界の旅
世界の旅 モロッコ    フェズ  ムーレイ・イドリス
文化・精神の中心、青い都市フェズ
fez
フェズ
 フェズはモロッコ最古のイスラム王朝、イドリス2世により建設されました。王朝創始者のムーレイ・イドリス1世は8世紀末にバグダッドで反乱を起こしますが失敗してモロッコに亡命しました。
 勇敢だったイドリス1世は先住民のベルベル人の信頼を得てイスラム王朝を興しました。そしてイドリス2世の時代、807年にフェズは首都となり、現在の街の原型が造られたようです。
 フェズの見所は世界一複雑と言われる迷路のような市街です。他国の侵略を何度も受けてきた地中海沿岸には、堅固な城壁と自分たちだけが熟知できる複雑な市街地を持つ迷路都市が多く、特にフェズはその中でも最も複雑で巨大だと言われています。ここでは狭い路地のため今でもロバが主要な運送手段として用いられています。 また、フェズは学問の都市でもあり、有名な神学校が多く見られます。 
 13世紀のマリーン時代に新しい町が作られました。これがフェズ・エル・ジェディドで、最初からあった古い町はフェズ・エル・バリ(世界遺産)と呼ばれ区別するようになりました。その後フランス領時代に作られた新市街とフェズは大きく3つに分かれました。人口32万人の半分が古い2つのメディナで生活しています。


世界最古の大学
カラウィーン・モスク

 人や馬がやっと通れるくらいの迷路の先にカラウィーン・モスクはあります。 回教徒以外の入場は一切禁じられていますので異教徒が覗くことができる所といえばわずか一軒ほどの入口だけです。
 9世紀に、チュニジアから移住したファーティマ・フェヘリーヤによって小さな礼拝堂が建てられました。10世紀にムーレイ・ベン・ユーセフが改築して壮大で華麗な建物になりました。現在北アフリカで最大のモスクだそうです。中庭はアルハンブラ宮殿のパティオを模した大理石の泉があるそうです。
 ここは大学としても使われています。このカラウイーン大学は世界で最古の大学なんだそうです。身体を清めている人、コーランを読む人、ここには厳粛なる空気が漂っています。


マリーン朝の神学校
ブー・イナニア・マラドサ
13〜15世紀マリーン王朝のもとでフェズは最盛期を迎えました。当時建設されたイスラム神学校
ブー・イナニア・マラドサではイスラム教の研究や教育が熱心に行われました。
パティオを囲むしっくいの壁は綿密な模様の彫刻が施されており目を奪われます。


 アトラス杉を多く利用して装飾がされています。建物の細部にわたって当時のイスラム建築のレベルの高さがうかがい知れます。
 かってイスラム圏諸国から多くの留学生を受け入れ、宗教学を教義しました。神学校の二階部分は、寄宿生の宿泊施設として利用されたそうです。


1200年前の世界
メディナの迷路
フェズの旧市街が世界一の迷路といわれるその理由は
複雑な地形の上に住居が重なり合い造成していった結果です。
1200年以上も昔に造られた石畳に彼らの歴史が刻み込まれています。
 旧市街のフェズ・エル・バリは城壁に囲まれ巨大な迷路のスーク(市場)があります。 網の目のように細い路地が絡み合い、人と商品であふれかえっています。
 衣料品、布生地、糸、金属類、家具、香辛料、木の実などなど業種ごとにまとまったところで売っています。香辛料は重要らしくアッタリーン・スークという香料の市場まであり、いつも混んでいます。
フェズ・エル・バリは世界遺産に登録されています
小さな子供が大人と一緒になってハンマーで鉄製品を作っていました。人一人通れるくらいの狭い路地があちこちにあり、ロバや馬が通る時はよけなければ挟まれてしまいます にわとりを生きたまま売っているところもありました。
 「バラーク、バラーク」と掛け声をかけながら荷物を山ほど積んだロバが人をかき分けていきます。カメラを撮ろうにも取り出せない有様でした。いやはやものすごい街です。
 

革染め工場
< タンネリ >
フェズの皮染物工房はモロッコ一の規模を誇ります。皮製品や民芸品の地場産業の要として大勢の人々が働いています。臭いがすごいので花をかぎながら見物しました。色染めを行うつぼにはそれぞれに所有者がいて、そこで働く人は皮を染めて得る賃金を所有者と折半するということです。


スルタンの居城
王 宮
 フェズ・エル・ジェディドの中央部に広大な敷地を占有して建っています。かってのスルタン(イスラム王朝の君主)の居城であり、兵士などの駐屯地でもあったといいます。何世紀にもわたって改築や増築がなされ、現在はモロッコ国王がフェズに滞在されるときに使われるということです。
 王宮前広場には美しい草花が植えられて、数十本の街灯が立ち並び広大で壮麗な空間になっています。


旧ユダヤ人居住区
メラー
メラーとはユダヤ人街を指します。中世の頃、スペインで迫害されたユダヤ系の人々がモロッコに逃げてきました
 フェズのメラーはその中でも最も古い歴史があります。イスラエル建国により多くのユダヤ人はここを去りました



ベルベル絨毯とアラブ絨毯

モロッコのじゅうたんには、べるべるじゅうたんとアラブじゅうたんがあります。砂漠などでテントの敷物や掛け物などに古くから使われてきたのがベルベルじゅうたんです。アラブじゅうたんはオリエントの流れを取り入れた歴史が新しいものでペルシャじゅうたんと似ています。



イスラムの聖域
ムーレイイドリス

 聖地ムーレイイドリスはモロッコで最初にイスラム王朝が発祥した所で、小高い丘の上に旧市街が群生するように建ち、イドリス一世の廟がその中心地にあります。
 ムーレイ・イドリスは聖者の町として知られ、夏にはモロッコ各地から巡礼者がやってきます。ここでモロッコ初のイスラム王朝、イドリス朝が始まりました。預言者モハマドのひ孫、イドリス一世はバグダードのアッバース朝に反乱を企てましたが失敗しました。786年ムーレイ・イドリスの向かいの町、ヴォルビリス(アラビア語ではワリリ)に亡命しました。そこでイドリス一世は原住民(ベルベル人)をイスラム教徒に改宗させました。ベルベル人はイドリスを預言者の子孫として敬服し、イドリスの人気は徐々に高まっていきました。
 イドリスの力を恐れたアッバース朝スルタンは刺客を送り、791年にイドリスを毒殺してしまったのでした。
 彼の死後、息子ムーレイ・イドリス2世が後を継ぎ、王朝の中心はフェズへと移っていきました。ムーレイ・イドリスの遺体は、町の中心にある緑色の三角屋根の霊廟に収められています。現在でも、この霊廟に非イスラム教徒は足を踏み入れることはできません。80年程前までは町全体が聖域になり、非イスラム教徒は立ち入ることができなかったところでした。

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