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古くから南北アフリカをつないだ重要路 アトラス山脈の南側、ワルザザードからティネリール(トドラ峡谷)を経て、エルフードに向かう道はカスバ街道と呼ばれています。カスバとは外敵から守る城壁に囲まれた要塞のことです。街道沿いにはたくさんのカスバやオアシス、峡谷が点在します。ワルザザードの西約20キロメートルには世界遺産に登録されたアイト・ベン・ハドゥのカスバがあります。カスバ街道2でご紹介しています。赤茶色の谷のダデス峡谷や、ティネリールの北にある巨大な断崖トドラ峡谷では雄大な景観を楽しめます。エル・カーラ・マグーナは別名バラの街。バラの香水なども売っています。エルラシディアの南にはサハラ砂漠への起点となるエルフードがあります。このルートは古くから重要な通商路として利用されていました。 |
”砂漠の水路” 深い縦穴を掘って地下で隣の穴とをつなぎます それを水のあるところから延々とつないでいくのです。 根気と努力の賜です。穴は深く底まで見ることが出来ませんでした。 |
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タデス川、トドラ川、などが美しい渓谷とオアシスをつくっています。 |
ワルザザードはサハラ地区の主要な川である、ダデス川、ドアラ川、スース川の3つの川とマラケシュへの道が交わる位置にあります。マラケシュからハイアトラス山脈を越えてくると、このワルザザードはサハラへの入り口であり、また、エラシディアまで続く、カスバ街道の入り口でもあります。この町からティネリールを経てエラシディアまで続くカスバ街道沿いには今でも大小のカスバが残っています。 現在、人口約3万人のこの町は、1928年にフランスによって守備隊の駐屯地として建設されました。 フランスからの独立後はモロッコ軍が駐屯していて、いまだにかなり広い範囲が軍用地として利用されているそうです。 現在は国際空港まで持ち、観光地として、手工業の中心地として、撮影所として発展しつづけています。ワルザザードの近くには、ユネスコの世界遺産に登録されているカスバ・アイト・ベン・ハッドーや、ティフルトゥートカスバ、タウリルトのカスバなどがあります。 |
カスバ街道のほぼ中間地点ティネリールの北にあるトドラ峡谷。200メートルを越す垂直の絶壁が続くトドラ渓谷を越えるルートは、アトラス山系屈指の難所として有名です。峡谷のいちばん狭いところは、左右の岸壁の間が20〜30メートルほどしかないそうです。モロッコのグランドキャニオンとも呼ばれているそうです。 カスバ街道唯一のスペクタルな渓谷です。大きな岩に囲まれ、透き通った水が流れています。川の中にはこんこんと清水がわき出ていました。ここには世界中からロッククライミングの練習に来ている人たちがいます。 |
高さ200メートル以上の切り立った断崖を見上げるポイントは迫力の景観 | ||
エルフードのあるターフィラルト地方はフランス占領に対し最後まで抵抗した町の1つで、1932年まで拡散的な抵抗運動が起こりました。その後、フランスは、この地域の反乱を抑えためにエルフードの町を駐屯地として建設しました。整然としていて、道路は碁盤の目のようにきちんとしています。 このあたりは大昔海底だったのでアンモナイトの化石がたくさんでました。アンモナイトの化石などを含む大きな岩を切りテーブルに加工する工場を見学しました。灰皿や装飾品なども売っていました。街道のあちらこちらで声をかけられポケットから化石を取り出しては売ろうとしていました。 ここからサハラ砂漠の麓メルズーガまでは4WDで約1時間です。 |
朝日を浴びて刻一刻と色が変わる砂漠に感動 ▼本物の砂漠の圧倒的な迫力 カスバ街道沿いにあるオアシス、エルフードの南約50キロメートルに位置するメルズーカ大砂丘はサハラ砂漠の入り口。まさに日本人がイメージしている砂の大地がここにあります。まだ暗い早朝にエルフードを4WD車で出発。メルズーカ到着後は丘の上で日の出を待ちます。日が昇るにつれて砂漠も徐々に表情を変えていき、色が微妙に変化します。 |
アラビア語で「荒れ地」を意味する「サフラー」が語源となっているサハラ砂漠。 この砂漠はアフリカ大陸の4分の1を占めています。砂丘が一面に広がっているイメージが強いのですが、実際は「荒れ地」といわれる通り、土や石ころの大地が広がる乾燥地帯なのです。 |
メルズーカの大砂丘でラクダと昇る朝日を眺る |
このあたりの砂はローズ・サンドといわれ赤く、そして細かい砂です。。 待つうちにあたりが明るくなってきて、見事な日の出を見ることができました |
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