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世界の旅
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アルプバッハ

アルプバッハ Alpbach
チロルならではの雰囲気でいっぱいの村。ベランダに花が競い咲く古風な家々、そして緑の森はまるで絵はがきの一枚のよう。カウベルの音がのどかに響くこの地方では、のんびりとした散策を楽しめます。冬はスキーヤーで賑わうということです。
ブリックスレッグ ( Brixlegg)の駅からバスで20分ほどでアルプバッハに着きます。花が咲き乱れ、チロルの家がかわいくいろどられているはずでしたが時期が悪かったせいか花もなく観光客もあまりいませんでした。
典型的なアルプバッハの町並みです。村の中心部。オーストリアのこの地帯の家(大抵は農家)は大体こんな感じです。基本的に木造で、花で家を飾りつけています。アルプバッハ村は、ザルツブルグからインスブルック方面の電車に乗って途中のBrixleggで降り、そこからバスで行けます。
 テラスや窓辺を花で彩った家々の姿が「オーストリアで一番美しい村」コンクールで優勝してから、一躍人気スポットとなりました。幹線からちょっとはずれた細い谷の中程に位置するので素朴な田舎を想像しますが、意外に観光地として整っています。
 「ヨーロッパ一美しい村」に選定されたことのあるアルプバッハ。狭い谷の狭い道を奥へ奥へと入っていった小さな町ですが「ダライ・ラマ」なども訪れたことがあるそうです。
 国際的な会議も開かれるそうです。
 ハルの街まではインスブルックから車で30分位です。ノルトケッテの岩稜が朝日を浴びてそそり立っているのが印象的です。
 この街の人口は12,700人で標高は581mです。
中世以来この街はイン川流域の塩の街として、オーバーエステライッヒあるいはザルツブルク大司教にとって特別な地区であったようです。ザルツカンマーグートの他の鉱山都市と同じく国の経済生活上最も重要な役割をもっていました。


ハル・イン・チロル

インスブルックから約10km、ハルは、中世チロルの経済の中心地でした。岩塩採掘を基礎に、イン川の河川交易における優先買い付け権を持つことによって重要な都市へと発展しました。1303年には早くも都市権を獲得しました。

シュヴァーツの銀山に近いという有利な条件から1477年、造幣所が南チロルのメランからハルへ移されました。ここに経済の中心地としての地位が確立されたのです。ここで鋳造された当時世界最大の銀貨「グルディナー」は今日のドルの始まりだとされています。

16世紀になるとハゼック城で、ローラー鋳造機による最初の銀貨が生産されました。今日のハルはオーストリアで最も良く保存された中世都市といわれています。市庁舎、市の泉などがあるオーベラー・シュタットプラッツを中心に、15〜18世紀の町並みが広がっています。
ハゼック城は1489年頃建てられた砦で、現在は市立博物館となっています。同時期に建てられたミュンツァートゥルム(造幣所の塔)では現在各種記念コインが鋳造されていて、見学することもできるそうです。
 ハルはとっても小さな、石畳と坂の街です。俗化されていないので人々も純朴でした。おいしいアイスクリームもなめてきました。
 都市としての活気は今ではインスブルックに移りました。ハルの街は中世そのままのたたずまいを残しています。

チロルというのはオーストリア西部の州の名前ですが、その地名は今のイタリア北部のメラノ(ドイツ語名はメラン)の郊外にあるチロル村に起源をもっています。昔ここにいたチロル伯爵が後に居城を銀のとれるメラノに移し、銀貨の鋳造で力をつけて付近の領地を次々と吸収しました。
チロル伯爵はシュヴァーツという町で銀を掘らせ、ハル イン チロルという町で銀貨を鋳造、世に有名なオーストリア銀貨を大量に生産しました。また、シヴァ−ツの銀の産出量が極めて多かったことから、チロル伯爵はとうとう居城をインスブルックに移しました。その後14世紀半ばに伯爵家の男系の血筋が絶えこの地はハプスブルク家に譲られました。
チロルの新しい領主となったハプスブルク家は、円滑な統治権のバトンタッチを狙って、住民の自治権や商権に寛大な主従契約をチロルの人々と結びました。ここで交わされた文書は「チロル自由の手紙」と呼ばれ、その後も長い間チロルの人々の誇りとなりました。

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