世界の旅 世界の旅 オーストリア 「センメリング鉄道」&グラーツ |
ウィーンから南へ、グラーツ方面にグロニッツという山 間の駅があります。ここからブラームスゆかりの地ミュールツツーシュラークまでの41.8kmが「センメリング鉄道」と呼ばれています。1854年に完成した初めてアルプスを越えた山岳鉄道です。 |
センメリング鉄道の全線には16の石造り高架橋と16のトンネルがあります。 高さ46m、長さ187mのカルテリンネ橋をはじめ、2段構造のアーチが多用されているのが特徴です。 近代的な土木機器やダイナマイトもなかった時代にわずか6年という短期間で完成させた驚異の鉄道です。橋脚、トンネル、カーブ・・・。その技術はその後の様々な山岳鉄道で使われ、鉄道技術の発展を促しました。150年経ったいまでも標高約1000mのセンメリング峠を越えて乗客を運んでいます。 |
ウィーン南駅からゼンメリンク峠を越えて3時間弱、オーストリア南東部のシュタイヤーマルク州の州都グラーツ
Grazに着きます。 指揮者カール・ベームの生地でもあるグラーツは人口25万余でウィーンに次ぐオーストリア第二の都市です。グラーツという名称はスラブ語のグラデツ(小さな城)に由来しています。 |
緑にあふれた市街は落ち着きがあり、ヒトラー併合 時代には「国民休養都市」に指定されたそうです。 スロヴェニアに通じるムーア川沿いに開け、アルプスの南、地中海的風土をも感じさせます。 グラーツ旧市街はユネスコ世界文化遺産に指定されています |
古い昔、東からの外敵に備える要塞の役割を果たしました。皇帝フリードリヒ3世は1438〜53年の間ここに居城を置きました。 ハンガリーがオスマントルコの支配下にあった16〜17世紀には、トルコ軍に対峙する最も重要な防衛拠点のひとつでした。 ゲルマン文化圏最南端の都市であり、バルカン半島とイタリアの香りが漂う。 |
宗教改革期には天文学者ケプラーがここグラーツで数学教師をしていたことも有名です。 400年以上の歴史を持つグラーツ大学もあり、世界的に知られるグラーツ音楽院があり、国際見本市や国際会議が開かれるヨーロッパでも有数の文化都市です。 |
世界文化遺産には煉瓦色の屋根が続くグラーツ歴史地区が1999年12月に指定されました。 ムーア川 Mur River グラーツの街の中心をムーア川が流れています。 駅から街の中心へ向かうにはこの川を渡ります。なお、写真の建物はマリア教会です。 |
皇帝フリードリッヒ3世は1438年〜53年の間にここに居城を置きました。中世がここにあります。 | ||
こじんまりと落ち着いた古い街が緑豊かなそよ風で心地よい雰囲気を感じさせます。 |
ハウプトプラッツ広場とそのあたり一帯の通りには、華やかな漆喰細工で飾られた家や、古風なアーケードや出窓を持つ家などが多く、昔ながらの町並みが好きな人にはたまらない魅力です。 |
昔の家も内部は洒落たブティックやカフェ・レストランになっていて散策の楽しみは尽きません。若い人たちがよく街角に立って、バイオリン、フルート、クラリネット、ギターなどを演奏しているのも、この街の伝統のひとつです |
街の中央広場にはヨハン大公の銅像がそびえ立っています。 市電の駅の付近には花屋や果物屋のスタンドが並んでいます。 広場に面したヘレン通りにはカフェが店を広げています。 |
古風な建物に囲まれた広場の中央には、ヨハン大公の記念碑のほかに4人の女性像があります。それはシュタイヤマルクを流れる4つの川、エンス、ムーア、ドラウ、サンを表しています。広場の南を飾る市庁舎は、歴史主義のスタイルで19世紀末に建てられたものだということです。 |
ヨハン大公の記念碑 ヨハン大公というオーストリア大公はナポレオン軍が、1800年に攻め込んできた時、バイエルンのオーストリア軍司令官を務め、1809年にもオーストリア軍司令官を務めました。国民の信望が厚く、1848年にフランクフルト国民議会によって帝国(神聖ローマ帝国)摂政に選任されました。 |
ラントハウスとも呼ばれます。16世紀半ばドメニコ・デラリオによって設計されたルネサンス建築の傑作です。とりわけ典型的なルネサンス的調和の世界を示す中庭の回廊は、外観をゴシックで統一したヴェネチア総督宮殿におけるルネサンスの中庭を彷彿とさせます。 |
市庁舎のすぐ南側にあるシュタイヤーマルク州庁舎の中庭は「コ」の字型の建物が中庭を抱き、その端と端を、渡り廊下のように三階建てのアーケードが繋いでいます。この州庁舎も1557年から1565年にかけて建造された、オーストリアで一番美しいルネッサンス様式の建物といわれています。 |
州庁舎の 中庭の一角に井戸がありました。右の写真です。装飾がすばらしい。各階の廊下もきれいに花で飾られていました。 |
州庁舎に隣接する武器庫ツォイクハウスには、何万点にものぼる昔の武器や甲冑が整然と保存されています。こういう武器庫が昔のままの状態で残っているのは、全ヨーロッパでもここだけという貴重なものです。甲冑の中を歩いていると、タイムスリップしたようなかんじになります。 |
グラーツ西郊外のこの城は、17世紀半ば〜18世紀半ばにピエトロ・デ・ポミスなどの建築家によってエッゲンベレク家の居城として建てられ、1953年以降は博物館となり、豪華な内部が公開されています。 |
グラーツから北へ15キロのシュチュービンクには、オーストリアで最も美しい野外博物館があり、広い敷地内にオーストリア全国各地の伝統的農家、穀倉、水車小屋、山小屋などが集められています。 |
シュロスベルク(城山)に登ると、グラーツの市街および郊外を一望できます。 ムーア川の両側に旧市街、その周りに新市街、さらにその周りに農地や山林が広がっています。 頂上付近には見渡せる建物を紹介するプレートがあり、市庁舎や劇場に混じって、 アーノルド・シュワルツェネガーの生家も紹介されてます。 |
シュロスベルクの時計塔はグラーツの街のシンボルになっています。 シュロスベルクに登る道はいくつかありますが、ここは階段になっています。(写真左) ケーブルカーの他、エレベータでも上り下りできます。 |
時計台の階段の下に消防車が止まっていました。黄色も混ざっているんです。 |
フリードリヒ3世が居城とした後、皇帝マクシミリアン3世が拡張、現在は州知事官邸となっています。 1499年に建てられたゴシックの二重らせん階段は2つのらせん階段が互いに反対回りに造られていて1回りする(1階登る)ごとに出会う構造になっています。極めてユニークで一見に値します。 |
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