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世界の旅
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世界遺産
メルク
Melk
ヴァッハウ渓谷の西側の起点に、メルヘンの世界のような愛くるしいメルクの町があります。ドナウ川がもっとも美しいと言われている一帯には、中世をそのまま残している小さな街が点々と散らばっていますが、メルクもそのひとつです。メルクはリンツから流れ下ってきたドナウ川が、北に方向を転じる角の南岸に位置します。南方はアウトバーンが走っているミッターブライテン、北方はドナウフェルトの緑の田園地帯に囲まれています。街道沿いにルネッサンス風の家屋が並ぶ小さい町です。

メルク修道院


 メルク観光のメインは、ウィーン屈指のバロック建築・メルク修道院です。
 メルク修道院は、11世紀バーベンベルク家の城がベネディクト派に寄進されたのをきっかけに創設されました。やがて広く文芸の中心地としてオーストリア全土に影響を与えるようになったところです。
 ドナウのほとりに建つ大修道院は「横にのびた摩天楼」あるいは「信仰の要塞」などと呼ばれています。2000を数える手稿及び15世紀以前の写本も含め8万冊に上る蔵書を誇る図書館も見学することができます。


 メルク修道院の門です。灰褐色のいかにも年代を経たという建物のあいだに、黄色い石積みと白い漆喰の単層の建物です。門の両脇に長い杖を持った修道僧らしい人物と、軍旗のような旗を持つ甲冑姿の戦士らしい二つの銅像が、衛兵のように立っていました。
ここメルクに建てられたベネディクト派の修道院は、高さ60メートルの切り立った崖の上に聳えており、1702年から45年間もかかって現在の姿に拡張されたといいます。
 「壮麗無比のオーストリア・バロック建築の代表作」
です。
きれいな宮殿のような建物で内部は美術館のように絢爛豪華の造りです。その上内部の教会のきらびやかさには驚かされます。修道院というより豪華な富と権力の象徴のようです。 
10世紀、バーベンベルク家のレオポルト1世がベネディクト派の修道院をここに建立しました。18世紀にオーストリア・バロックの至宝といわれるほど華麗な姿になりました。
1770年にマリー・アントワネットがフランスのルイ16世の元に嫁ぐ途中、この修道院に一泊しているということです。
大広間の天井画 豪華絢爛な図書館 付属教会の祭壇

一番印象に残ったのは8万冊の蔵書を誇るという図書館でした。歴史の重さを感じさせる荘厳な空間に修道士たちの勉学の場であった図書館がありました。そこは人々が出入りする礼拝堂や表側の建物から一番遠い、裏側の高い場所にありました。
 図書館の内部に入って、まず圧倒されたのはそこに沈澱する重い空気でした。四方の壁を埋めつくす手書きの古書千八百冊が、独特の匂いを出していました。中世においては、書物は貴重品でした。焼失を恐れて、暖房や火の気のある場所では、決して本を読めなかったといいます。学ぶことは寒さとの闘いだったのでした。
 修道院のテラスから見るドナウのパノラマは本当に素晴しい。
年代モノらしい大きな地球儀がありました。  ドナウ川からの風と明るい陽の光が印象的でした




世界遺産
ドナウ川とヴァッハウ渓谷
wachau

風光明媚な川下りで古城散策

▼ドナウ河デュルンシュタイン

オーストリアを流れるドナウ川のハイライトともいえるヴァッハウ地方は、美しい自然と文化が見事に調和している景勝地です。ライン下りと並んで風光明媚な川下りとして人気があるドナウ下り。なかでも「銀色に輝く帯」と呼ばれるメルク〜クレムス間の35kmのバッハウ渓谷はそのハイライトです。周辺に果樹園が広がり、変化に富んだ風景が楽しめるこの谷間にはバイテネック城、アックシュタイン城などの美しい城も点在します。終着点クレムスはワインの産地として栄えました。旧市街と城壁の残る中世が薫る旅情あふれる町のようです。水色の塔を持つ教会で知られるデュルンシュタイン、古い美しい街並みそのものが博物館とされるクレムスまで、ドナウ沿いの約36キロの地域は汲み尽くせぬ美の宝庫といえます。私は中間のデュルンシュタインという歴史のある街に降りて散策してみました。世界文化遺産指定は2000年11月でした。


 ヴァッハウ渓谷で、最初に現れる名所が、エンマースドルフです。19世紀に皇帝フランツ・ヨーゼフが夏によく訪れたというところとして知られています。
 このへんが有名な叙事詩『ニーベルンゲン』の舞台のニーベルンゲンガウなのです。

 メルクから5キロほど下ると、固い岩盤上にシェーンビューエル城が見えてきました。真っ正面に差しかかると、川面から垂直に立ち上がっている四角い岩盤の上に、バロック様式の四角い塔や、塔を包み込んで大屋根の建物、そして三角屋根の建物が見えます。シュロスと呼ばれる宮殿のようなもののようです。

 アックスバッハの町が近づいてきたとき、古城が見えてきました。これがアックシュタイン城です。
 この城は、盗賊になった騎士が居たところで、捕虜たちを次々と谷底に突き落としたという伝説が残る不気味な城です。麓には石造りの塔のある教会や緑の中に散在する家々、山の斜面をはいのぼっている畑などが見えています。
 シュピッツを出て暫くすると、左岸にザンクト・ミヒャエルの町と修道院の教会が現れます。そして、そこより少し下流のワイゼンキルヒェンの教会は、塔も高く建物も立派でした。塔の屋根も、教会の建物の屋根も赤い瓦でした。このあたりは昔から優れたワインの産地だということです。山の斜面いっぱいブドウ畑でした。


デルンシュタイン

デルンシュタインは、真先に白と青によって構成された置物のような教会の塔がシンボルです。英国の有名な陶器ウエッジウッドに見られるような、白と青のコンビネーションの洒落た塔です。その塔の背後の山の上に、廃墟となった古城があります。
古城は、12世紀に十字軍の遠征からの帰りに、オーストリアのレオポルド五世に捕らえられた英国の国王リチャード獅子心王が投獄、幽閉されたという城砦なのです。急な坂道を歩いて登りました。古城から古い町並みとドナウ川がきれいに見えました。



 「今なお城壁をめぐらせた小さな町で、城門に続く通りには、中世そのままの家々が立ち並び、詩情豊か・・・」と書いているところ。
 12世紀中頃に築かれたこの城に、十字軍遠征の帰路ウィーン付近で捕らえられたイギリスの「リチャード獅子心王」が幽閉されていた史実は余りにも有名です。

 王の身のうえを案じた騎士ブロンデルは吟遊詩人に身をやつして王の好んだ歌を唄いつつ諸国を回り、デュルンシュタインの城にさしかかったところ同じ歌でこたえる声があり、遂にリチャードを発見したという伝説には、中世的なロマンの香りが漂います。

 現実には1年間に及ぶ長い身の代金交渉の結果、リチャードの身柄と引き替えに莫大な金額を得たレオポルトV世は、これをウィーンやエンス、ハインブルクなどの城壁強化にあてたそうです。


聖堂参事会員修道院教会
Chorherrenstift
町の中心にそびえるこの教会は明るい水色の塔が目印です。創立は15世紀です。中庭を通ると教会の入口があります。教会の横の建物内は教会に関する展示室になっています。

 塔のテラスに出るとドナウ川の素晴らしい景色が目に飛び込んできます。
 伝説の古城がそびえるメルヘンチックな町でした。  ヨハン・シュトラウスの「青く美しきドナウ」というイメージでした。


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