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スリランカの旅    アヌラータプラ
anuradhapura
夕陽のなかに巨大なダーガハ(仏塔)がシルエットとなる遺跡
アヌラーダプラ
 アヌラーダプラは仏教が最初に伝来した「仏教文化最古の地」として有名な所です。最初に首都になったのは紀元前377年で、何度も侵略されたりもしましたが1000年間に渡ってスリランカの首都であり続けました。
ハバラナからアヌラーダプラ付近の小さな村
 ここには巨大なストゥーパ(高位の僧の遺骨  などが納められている塔)が散在しています。スリランカではストゥーパはダゴバと呼ばれています。半球状の構造になっていて、石または煉瓦で作られています。
 広大な人口貯水池や仏舎利塔、寺院、池、仏像等の巨大な仏教記念碑は、栄華を極めたアヌラーダプラ文明の繁栄を物語っています。
ハバラナ Habarana 付近
 アヌラーダプラはコロンボから206キロ北東に位置しています。スリランカの歴史書のマハーウァンサ(大史)にはスリランカの最初の計画都市であったことが明記されています。たくさんのダーガバや数々の彫刻は昔の文明を象徴しています。

★  ★  ★

 紀元前483年、ウィジャヤ(Vijaya)王子が北インドからランカー島へ移住し、初代のシンハラ王となりました。
 紀元前377年、パンドゥカーバヤ(Pandukabhaya)王がアヌラーダプラを首都と定め建設しました。道路などは計画的に造られ、王は宝石で飾られた1000室にも及ぶ宮殿に住んでいたといわれています。
 紀元前250年頃、インドのマウリヤ朝のアショーカ(Asoka)王の息子ヒンダ(Mahinda)によって初めて仏教が伝えられました。シンハラ王のデーワーナンピヤ・ティッサ(Devanampiya Tissa)王は、仏教に帰依し、トゥーパーラーマ・ダーガバやイスルムニア精舎を建設しました
 紀元前210から161年にかけ南インド系(タミル系)の人々によって、アヌラーダプラは征服されてしまいました。
 紀元前161−137年、シンハラ王のドゥッタガーマニー(Dutugemunu)王がタミル軍の征服者を追放し、王位を奪還しました。ランカー島まで統一し、紀元前137年まで統治し支配体制を確立させました。
  紀元前103−89、タミル軍が侵攻して、アヌラーダプラは再び征服されました。
 紀元前89年、シンハラ王のワッタガマニ(Vattagamani)王が、タミル軍を追放し、再び王位を奪還しましたが、後に王位を剥奪されタミル人の支配が続きました。
アヌラーダプラ遺跡付近
 276年、シンハラのマハーセーナ(Mahasena)王は再びアヌラーダプラを奪還してジェータワナ・ラーマヤや16に及ぶ灌漑用貯水池と運河を建設しました。これらは現在でも使われています。
 455年、シンハラ王のダートゥセーナ(Dhatusena)が、タミルの征服者を追放し、王位を奪還しましたが、477年に長男カーシャパ(Kasyapa)に殺害され王位を奪われました。カーシャパは、シーギリヤ(Sigiriya)に宮殿を建設しましたが異母弟モッガラーナに討たれました

 769年、シンハラ王のアーガボーディ(Aggabodhi)4世が、タミル軍の度重なる侵略から逃れるためアヌラーダプラからポロンナルワに首都を移しました。993年、ラージャラージャ(Rajaraja)1世が率いるタミルのチョーラ(Chola)王朝軍が、アヌラーダプラ(Anuradhapura)を征服しました。




イスルムニヤ精舎
Isurumunuya Vihara
 ティサ池のほとりに造られた通称「ロック・テンプル」がイスルムニヤ精舎です。もとは紀元前3世紀の僧院が寺院になったものだそうです。今の本堂は東京の浅草寺の援助で再建されたそうです。
  紀元前250年頃、デーワーナンピヤ・ティッサ王により創建されています。後ろの岩をくり抜いて造っている石窟寺院です。裸足で見て回りますので熱いところは大変です。
  スリランカの中央部、アヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディの3都市を結んだ三角形の内側には世界有数の大遺跡群が残っています。これらを文化三角地帯と呼んでいます。
ガードストーン 岩の上のこうもり
本堂の内部
 色鮮やかに仏陀の教えの絵が描かれています




イスルムニヤ精舎 宝物殿
 「恋人の像 」 The Lovers

 5世紀の作品といわれています。彫られているのはドゥッタガーマニー王の息子のサーリヤ王子とその恋人マーラといわれています。
 サーリヤ王子と、カーストの低い女マーラとの恋に周囲は反対しました。王子は自分の身分を捨ててマーラとの結婚を望んだといわれています。
王の玉座
 「王族の像」 The Royal Family

 サーリヤ王子と、マーラの結婚後の像です。王の左手にはサーリヤ王子も彫られています。




スリー・マハー菩提樹
 アヌラーダプラを仏教の聖地として強く位置づけているのが、このスリー・マハー菩提樹です。紀元前3世紀にインドのアショーカ王の王女サンガミッタがインド・ブッダガヤの菩提樹の分け木を持ってきて植えたものだそうです。
 仏陀が菩提樹の木の下で悟りを開きました。ゴータマ・ブッダとよばれましたがこの分け木にあたるのです。本物の菩提樹はすでに枯れてしまっているため、この菩提樹は神聖化されています。
 スリー・マハー菩提樹の意味は「Sri」は敬称で、「Maha」 は偉大な(または真の)、「Bodhi」 は目覚めたる者の意味だそうです。Bodhiはゴータマ・ブッダ(仏陀)の別名のひとつです。
 ゴータマ・ブッダを知っている生物として2500年を生きて来たことになる菩提樹です。たぶんこの木は記録が残っている世界最古の木でしょう。
 由緒正しい菩提樹らしく象などの野生動物から木を保護するために,鉄柵や石台が作られています。石台には花などがたくさん供えられていました。



サマーディ仏像
Samadhi Buddha Statue
 仏陀がブッダガヤで悟りを開いた姿をしています。穏やかで柔和な表情は我々を安心させてくれます。



クッタム・ポクナ
Kuttam Pokuna
 ここはアバヤギリ大塔のふもとの僧院で修行していた僧たちの沐浴場あとです。


クイーンズ・パビリオン(ムーンストーン・サイト)
Queen's Pavilion (Moonstone Site)
 石柱などが残る王妃の建物跡の階段入口に輪廻転生を表わすムーンストーンがあります。一番外側が炎の輪です。人間の世界とそこに渦巻く欲望を表しています。その内側の4種の動物の輪は生命の力と活力を表しています。象が誕生、馬が老齢、ライオンが病、牡牛が死を象徴しています。この4種で輪廻を意味するそうです。
 花の輪は愛する心を、花をくわえた鳥(ソン)は純潔を象徴しているのだそうです。中心の蓮の花は天国を意味しており、死後ここにたどり着くのだそうです。



アバヤギリ大塔
Abhayagiri Dagoba
 かつてスリランカにもあった大乗仏教の総本山です。紀元前1世紀にワッタガーミニ・アバヤ王の命により建立されました。高さは75mです。建築当時はその周囲に半球状の屋根を含む構造があり高さは110mあったといわれています。



ジェータワナ・ラーマヤ
Jatavana Ramaya
 紀元3世紀 マハーセーナ王の命により建立されました。当時の高さは122m(水晶の高さまで含めると152m)あったそうです。レンガの土台は直径113mで、現在の高さは70mで三大大塔の一つに数えられています。1982年に発見された9世紀頃のサンスクリット語のマハーセーナ経典の金板が有名です。



ルワンウェリ・サーヤ大塔
Ruwanweli Seya Dagoba
 紀元前2世紀にドゥッタガーマニー王により建設開始され、息子サッダーティッサ王子により完成されました。ダーガバの周囲を象のレリーフで飾ってある美しい建物です。高さは55mあります。完成当時は110mあったといわれています。


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