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Cappadoce
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奇怪な岩峰が連なる大平原カッパドキアは、アナトリアの中央部アンカラの東南一帯に広がる火山性の大地です。 |
標高約4000mのエルジェス火山や、ハッサン火山から降り積もった、軟らかい凝灰岩がカッパドキア各地に、世にも奇妙な風景を見せてくれます。太古の昔の火山の噴火の台地が何万年もかかって風雨の自然の力により浸食されて出来たのです。 |
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キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観、奇岩の中に残された膨大なキリスト教壁画、洞窟教会が数多く残るギョレメ、ウフララ渓谷、ソーアンル。 |
地下何十メートルにも掘り下げられた地下都市カイマクルやデリンクユ。ネヴシェヒル、ユルギュップ、アヴァノス周辺に岩群は広範囲に点在しています。 |
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カッパドキアとは紀元前、この地にあった王国の名前からきています。一番中心となっているのは町の名前をとってギョレメ地区です。 |
昔からカッパドキアの住人は、この岩の一つ一つに妖精が一人づつ住み、村人に魔法をかけると信じていたようです。 |
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ギョレメ屋外博物館
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ギョレメ地区に30以上の11世紀前後のビザンチン時代の岩窟教会があり、ここをギョレメ屋外博物館として一般公開しています。くり抜いた岩の中を教会として使用していて、中は色あざやかな壁画がたくさんあります。 |
ここはヒッタイト時代から交易ルートの要の町として栄えたそうです。4世紀前後からキリスト教の修道士たちが凝灰岩に洞窟を掘って住み始めたのです。 |
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ギョレメに残る教会はすべて850年以降に建造され、内部のフレスコ画は11世紀までに描かれています。岩山の凝灰岩は水が浸透しにくいのと、室内の温度差も小さいことから、壁画が数百年もの長い年月に耐えられたようです。 |
ローマ時代、キリスト教が認められるようになると、ギョレメの谷は厳しい修道生活を望む僧などが多数集まって、信仰を軸とした共同体を形成しました。その後イスラム教徒の攻撃からのがれた多くのキリスト教徒が住み着いたそうです。 |
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カッパドキアの中心地の名はギョレメ。トルコ語で「見てはいけないもの」という意味だそうです。おもしろい形をした奇岩は見てはいけないものだったのでしょうか? |
ウチヒサール
ウチヒサールとは「3つの要塞」という意味だそうです。ヒッタイトの時代から要塞として使われてきたウチヒサール城跡があります。城跡には無数の穴が開いていますが、これらは岩をくりぬいて造った部屋の跡だそうです。 |
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ウチヒサールは、カッパドキアの大地に突き出た岩塔で、登るとカッパドキアが一望できます。岩壁を鳩の巣穴のようにくり抜いて、建物と岩とを一体化しています。こうして岩山自体がかつてひとつの城塞になっていました。 |
ここはごつごつとした岩山を中心にできた村で塔のような形をした岩山には数十年前まで実際に人が住んでいたといいます。村の周辺の岩には数えきれないくらいの穴が開いていて、鳩の巣として利用されていました。 |
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ゼルヴェの谷
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三人の貴婦人とかスリーシスターズとか呼ばれているきのこ岩です。シメジのように帽子をかぶった奇岩にお目にかかれます。 |
ペリバジャ(妖精の煙突)と呼ばれるキノコのような形をした奇妙な岩のエリアです。カッパドキアならではの奇観です。 |
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奇岩の大地カッパドキアの中でも、きのこ岩の林立する圧倒されるような景観は、ゼルヴェの谷が一番でしょう。この谷は、奥で幾つかに分かれ、一部に岩窟状の住居跡や僧院跡などが残っているのです。 |
ゼルヴェの谷には大勢の人が住んでいたようです。実際に30年ほど前まで村人が住んでいたそうです。しかし崩壊の危険があったので移住させられたそうですが。 |
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ゼルヴェの谷の奇妙な形のキノコ岩いんは1つ1つ個性があり、ずっと見ていても見飽きません。不思議な魅力のあるところです。 |
カイマクルの地下都市
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カッパドキアの中心部から、南の方に離れた郊外にあるカイマクル。洞窟教会と同じくキリスト教徒たちが作った巨大な地下都市があります。2万人もの人々が暮らしていたといわれています。
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この地下都市には、市役所や病院、教会等があり、2万人もの人が住んでいたようです。地下8階まであり、4階までが公開されています。巨大な迷路のようでした。 |
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キリスト教徒がイスラム教徒の迫害から逃れるため造ったところです。ところどころに敵の侵入にそなえた丸い石が、道をふさぐように置いてありました。 |
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