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トルコの旅    エフェソス Ephesos
              エフェス Efes

エーゲ海最大の遺跡が残るエフェソス
 紀元前11世紀頃、ガリア人の集落があるところへギリシャから移住してきたイオニア人が、アルテミス神殿を中心とした都市を造りました。イオニア12都市の一つとしてに繁栄しました。前7世紀にキンメリア人に攻撃され、町も神殿も破壊されました。リディア王クロエソスが再建したものの、アケメネス朝ペルシャのキュロス大王に征服されました。紀元前4世紀、アレキサンダー大王の帝国に併合され、西暦1世紀には古代ローマ帝国のアジア州の都となりました。西暦7〜8世紀、イスラム教徒の侵略を受け、人々はエフェソスの街を去っていきました。それ以後エフェソスは古代ローマ帝国時代の遺跡として生き続けています。



エフェス考古学博物館 EFES MUZESI
 1964年から行われている発掘調査で見つかった様々な美術品や建物の一部が展示されています。

豊饒の女神アルテミス像
 アルテミス神殿から発掘された女神像はアルテミスのホールに展示されています。右の像は紀元前2世紀のアルテミスの大理石像です。アルテミスはギリシャ神話の女神で、ゼウスとレトの娘です。アポロンとは双子で、アポロンの妹に当たります。兄アポロンが太陽神であるのに対し、アルテミスは月の女神とされ、神話では美しい処女の狩人として有名です。
 左の像は紀元前1世紀の「大アルテミス像」です。
 古代より月と女性と女神は切り離せないもので、女神の文明は「月の文明」で女性的な愛と優しさを信じる愛の文明でもあったのです。アルテミスの像は、どの女神も半円形の変わったコスチュームを身に着けています。一説に卵とも、乳房とも、睾丸とも言われ、大地の豊穣の象徴を表わしているようです。
 東西の接点、トルコの東側はアナトリア(アナドール)といわれています。
 アナは女神を意味し、ドールとは沢山という意味だそうです。つまりアナトリアとは女神がたくさん溢れている土地という意味のようです。
 アルテミスなどを中心とするアナトリアの古い神殿などでは女神信仰の中心地であったことを示す数多くの像などが出てきています。女性戦士アマゾネスも信仰したのは月の女神アルテミスであったといわれています。
 戦いのために右の乳房を切り取るとか、男は皆殺して、女だけで社会を作っていて子供を作るときには近くの村から男をさらってきたなどという話もあります。 
 私の考えでは当時は男女平等の社会制度が基盤にある母権制社会制度であって、政治・経済・社会・芸術のあらゆる分野で女性が大きな権限を持っていた時代だっのではないかと推察しています。
 ギリシャ神話で、まず天地創造に際して登場するのは大地の女神ガイアです。日本でも平安時代より前は女帝がいたりして似たような状態であったとも考えられます。
 古代の有名な学者であるストラボンとパウサニアスはエフェソスの設立者はアマゾン族であったと述べています。
 紀元前7世紀末のエフェソスの詩人カッリノスは、この地を落としたアマゾン族にはスミルナ(イズミール)の名が付けられていたと記しているそうです。イズミール付近の島がアマゾネスの住処だったというのも本当のような気がします。
 西暦54年、「人の手によって作り出された神は、もはやや神ではない」と説く聖パウロに対して何千ものエフェソス人たちは「エフェソスのアルテミス万歳、偉大なアルテミス万歳」と叫びながら大劇場に押し寄せたそうです。
 2時間に及ぶ民衆の叫びを前にして、白い法衣に身を包み、片手にしゃくを持った聖パウロも説得できず、命からがら逃げ帰ったということです。エフェソス人は信仰の自由を認めてはいましたが、最高の聖なるものは女神でなければならなかったのです。
 アルテミスの女神はすべての母であり、すべての支配者であり、力強く長い間人々の上に君臨しました。全アナトリア、そしてここを経由してメソポタミア、エジプト、アラビア、スカンジナビアの地方にまで多大な影響を与えたのでした。ローマ皇帝がキリスト教を国教としアナトリアの女神の信仰を禁止したとき女神の町エフェソスは歴史からその姿を消してしまったのです。
 ローマ神話の「輝けるもの」の意のダイアナもアルテミスと同一視されています。エフェス考古学博物館には古代ローマの文化、アルテミス神殿を中心とする文化を現在の人々に知らせてくれる遺物が残っています。98パーセントがイスラム教というトルコの中に無事残されたことに感謝しなければいけないと思います。



エフェソス遺跡


アルテミス神殿跡
 数々の伝説を残して消えたアルテミス信仰の巨大神殿跡です。しかしそこには柱一本だけが無惨に建っているだけです。当時はソロンの古代七不思議に選ばれたほどの立派な建物だったそうです。「後世に名を残すため」という白痴の男が火を放ち、紀元前356年のアレキサンダー大王の誕生日に崩壊しました。

ヴァリウスの浴場
 紀元前2世紀に建設されたハマム(浴場)の跡です。その後の時代では、体育館として使用されていたそうです。

教会堂(バシリカ)
 アウグストゥス時代の建物です。
 エフェス博物館のアウグトゥスと彼の妻の彫像はこのバシリカとヴァリウスの間の小さなストアから発見されたそうです。


オデオン(音楽堂)
 オデオン(オーディオの語源)という音楽堂の遺跡です。左の門はオデオンの入口のアーチです。収容人数は1400人で劇場のような建物に屋根が取り付けられていたそうです。
 ここでは300人の代表者会議やコンサートが開かれたようです。

舞う勝利の女神ニケ
 AD4世紀頃作られた大理石の浮き彫りです。花冠をてにして飛ぶ勝利の女神ニケです。ヘラクレスの門の一部であったとも考えられています。

円形記念碑
 ドミティアヌス広場の中央に円形の記念碑があります。ニケの彫像の隣です。外側に雄牛の頭の花飾りが装飾されています。


ヘラクレスの門
 クレティア通りの両側に大理石の石柱が立っています。この石柱に、ライオンの毛皮をまとったヘラクレスレリーフがあることから、ヘラクレスの門と呼ばれています。ヘラクレスはギリシャ神話の中でも力持ちで知られたヒーローです。当時はこの石柱の上に舞う勝利の女神のニケのレリーフが置かれていたようです。

 ギリシャ神話で、浮気な太陽神ゼウスが、貞淑な人妻アルクメネに横恋慕しました。彼女の夫アンピトリオンそっくりに化けて、生ませた双子の一人がヘラクレスです。ゼウスの妻ヘラが嫉妬に燃えて双子のもとへ蛇を入れて贈ったところ、兄弟のイピクレスは泣いて逃げましたが、赤ん坊のヘラクレスは蛇を絞め殺してしまったといわれています。


ドミティアヌス神殿
 エフェソスにネオコロスの権利を最初に与えたドミティアヌス皇帝(61-96)に捧げるために造られた神殿です。ネオコロスとは神殿所有の都市に指名されることです。そしてそれを保護する役目に就くことは名誉あることでした。
 ドミティアヌス皇帝は家臣に暗殺された後、ネオコロスの地位を再び得るため、父のベスペスィアヌスにこの神殿を捧げてしまったそうです。神殿の入口に2階建ての石柱が残っているだけです。 

クレティア通り (クレテス通り)
 セルシウス図書館からヘラクレス門までのなだらかな石畳のメインストリートです。両側には円柱や、彫像が載っていた台座が並び、丘の上の高級 住宅街、モザイクの歩道、神殿や公衆トイレから遊郭まであります。
 神話の中で「半神」として語られるクレティアは、後にエフェソスでは聖職者を表わす呼び名となったそうです。新年ごとに選出されるクレディア達は最初は単にアルテミス神殿のみと関係がありましたがローマ帝国期にはプリタネイオンでも地位を築きました。


ハドリアヌス神殿
 2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスに、捧げられたコリント式神殿です。アーチ中央の胸像は運命の女神、市の守護神でもあるティケです。その奥にはメデゥーサが、悪魔払いの目を光らせています。
 神殿の特徴である三角屋根の破風は、ほとんど落ちていてわずかに両端に残っている程度です。中央のアーチが残っていて美しい曲線美です。セルシウス図書館と共に往時の華麗さを偲ばせます。
 ハドリアヌス皇帝はトラヤヌス帝のまたいとこに当たり、スペイン(ヒスパニア)で元老院議員の家系の出でした。軍事的経験が買われてハドリアヌス帝の後を継いだそうです。
 当時はまわりの石柱には後代の皇帝たちの名前が刻まれていたそうです。そしてそこには295ー305年の間にローマ皇帝の位を分かち合ったディオクレティアン、マクスィミアン、コンスタンティウス・コロルス、ガレリウスの4皇帝の彫像が置かれていたということです。



セルシウス図書館
 ローマの執政官ティベリウス・ジュリアス・セルシウス・ポレマエアヌスはすべての公共建物の管理責任者でした。105−106年には都をエフェソスに置くアジア州の知事でもありました。彼の死後、霊廟として、117年頃、彼の息子が建てたものだそうです。
 アレキサンドリア、ベルガモンの図書館とともに、世界3大図書館のひとつに数えられ、12万冊の蔵書があったといわれています。正面の壁には知恵、運命、学問、美徳の4つの意味を象徴する四体の女性像があります。オリジナルはウィーンにあるそうです。


娼婦の館の看板
 めずらしい古代の敷石の看板です。

 セルシウス図書館の隣にありアンバランスな感じもします。本を読む格好をしてここに来ていたのでしょうか?



円形大劇場
 1世紀から2世紀にかけて、ピオンの丘の斜面に造られた大劇場です。2万4千人もの観客を収容できたというこの劇場は、エフェソス市民の会合の場として使われたり、コンサート会場として使用されていたようです。
 アナトリアには多くの古代ローマ遺跡がありますが、その中でも発掘規模、保存状態などから屈指ともいえる遺跡がここです。トルコに残されているローマ形式劇場で最大規模を誇り、観客席の高さは38メートル、直径158メートルの半円形です。
 3〜4世紀にはここで猛獣と剣士の一騎撃ちも行われたそうです。ほぼ円形をした階段客席の、山側の円弧に舞台がしつらえられ、舞台を支える四角い石柱が残っています。この劇場では現在でも夏期には音楽などのフェスティバルが開かれています。



聖母マリアの家
 エフェソスは聖母マリアが、キリストが磔にあった後移住してきて余生を過ごした地といわれています。
 本当に小さな狭い教会でした。聖母が住んでいたという家は、ここから更に7km離れたブルブル山の山中にあるそうです。聖母は64歳でこの世を去ったそうです。
 1967年にローマ法王パウロ六世がここでミサを執り行い、この遺跡の存在が世に知られたとのことです。



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