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トルコの旅    コンヤ

セルジュク・トルコの首都として栄えた町 コンヤ
Konya

 中部アナトリア高原に位置するコンヤは、11〜14世紀、バグダッドより遷都したセルジュクトルコの都して栄えました。13世紀中ごろに最も隆盛を極め、学者、芸術家、科学者などが各地から集められ、学校やモスクなどが築かれました。繊細な彫刻が施されたインジェ・ミナレ神学校、浮き彫りやタイルで飾られたビュユク・カタライ神学校はそのころ建てられたものです。前者は彫刻や浮き彫りの博物館として、後者は陶磁器の博物館として利用されているそうです。またイスラム教神秘主義の一派メヴラーナ教団の発祥地として広く知られている都市です。



メヴラーナ博物館
 青緑の塔は13世紀セルジュク朝の時代のもので、旋舞教団の開祖メヴラーナルーミーの廟です。廟にはトルコ国内はもとより、世界各地からの巡礼者が絶えません。コンヤが宗教都市と称されるのもわかる気がします。 

 メヴラーナの死後、1924年まではメヴラーナ教団センターとして使用されていたところです。メヴラーナ教団解散後、博物館として公開されており、メヴラーナの霊廟、ジャミイ、僧院、修行場がありました。メブラーナの棺には豪華な金の刺繍が施されていました。

 メヴラーナの名前の由来は、彼がその教義を説いていくうちに、彼に従う人々から尊敬の意味を込めて「Mevlana」という名が贈られたことに始まります。
「Mevlana」とはもともと「我が師」と言う意味のアラビア語からきており、彼に従う人々は「メヴラーナに従う人々」と言う意味で「Mevlevi」と呼ばれ、これが教団の呼称にもなったのです。

 メヴラーナは1207年9月30日、ホラーサーン地方のバルフ(現在のアフガニスタン)で生まれました。メヴラーナの父バハエッティン・ヴェレドも神学者・人文学者として名声が高かった人だったそうです。

 この頃中央アジアはチンギス・ハン率いるモンゴル軍の下に置かれていました。モンゴル軍の侵攻により故郷を追われ各地を転々としていたバハエッディン一家は、彼の名声を聞いたルーム・セルジューク朝スルタン アラアッディン・ケイクバルトI の招きにより、1220年中央アナトリアのコンヤに落ち着くことになったのです。 

 習得の早かったメヴラーナは神学・実証科学の学者として、父が亡くなった1230年、23歳の若さですでに教鞭をとっていましたが、父が亡くなった後も父の弟子であり友人でもあったブルハネッティン・テルミズィに9年間師事し、彼の影響を受けました。

 またイスラム神秘主義者のシェムセッディン・テブリズィに出会い、神秘主義者としてその思想を確立させました。人間とは神の最高の創造物であり宇宙に存在するすべてのものすべての生き物、彼の一部でさえも神の存在そのものである、つまり絶対的存在であると言いきっています。 


 メヴラーナ博物館にはたくさんの信者が手や足など体を清めていました。出口付近には可愛い女学生が我々を待ち構えていました。日本ではこのようなことはないので驚きました。物売りでも入信の薦めでもありません。英会話をしたかったのです。

 左の二人は特に愛くるしい顔立ちをしていました。自分たちが学んでいる英語を話したくて来ているのです。ペンフレンドも望んでいるようです。写真も貴重らしく欲しいというので帰国後送りました。



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