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トルコの旅    パムッカレ
世界遺産
Pamukkale

 トルコ第3の都市「イズミール」から南東250kmに、世界遺産の1つで石灰棚の温泉で有名な「パムッカレ」があります。日本たばこのポスターにも登場した石灰岩が創り出した大自然の奇観です。 
 「パムック」とは綿のことで「カレ」とは城のことです。つまり綿の城という意味です。白い奇岩の棚は落差約2000m、幅約1000mの拡がりを持って展開しています。白いカスケードの上部には、古代都市ヒエラポリスの遺跡が残り、温泉が湧き出ています。
 数千年の間にわたって石灰分を多く含んだ温泉が台地の斜面を流れ続けたために、真っ白な結晶が幾重にも重なって段々畑のような石灰棚になっているのです。世界遺産認定後は見学のみで入浴はできなくなっています。
 古代の作家スミルナエウスは著しています。「月の女神セレネが目も覚めるほどの美貌をそなえた若い牛飼いエンディミオに会うべく地上に舞い下りたのがまさしくここでした。女神と過ごす至福の時にすっかり我を忘れたエンディミオンは乳搾りをすっかり怠ってしまいました。」
 「溜まり溜まったミルクは溢れ出し辺り一帯を浸しました。ミルクに覆われた眺望は夢の世界に引き込みますが実に急激に冷やされて出来た固まりだったのです。さらによく見るとそれは石の層だったのです」



ヒエラポリス遺跡
Hierapolis
 ヒエラポリスの発祥はBC2世紀後半、アナトリアに領土を広く拡張したペルガモン王国のエウメネス2世が、国境を守る要塞を築いたことから始まります。農業、商業の中心地として発達し、多くの神殿が造られました。
 ヘレニズム時代に栄えたヒエラポリスの遺跡はパムッカレの石灰棚の頂上付近に広がっています。劇場、アポロ神殿、ローマ浴場跡など、多数の遺跡が残っています。写真右は石の棺です。
これらが集まっているところはネクロポリス、つまり死者の町と呼ばれています。1200以上のアナトリア最大の共同墓地がここに残っているのです。これらはヒエラポリスを囲んでいます。
 ネクロポリスは3つのタイプがあります。1つは一般民衆の小さな棺、1つは資産家や高官などの石棺で模様や装飾がなされ碑銘などあるもの、残る1つはトゥムリと呼ばれる冠をかぶせた大きな円形の墓です。小さな扉から内部の棺の間に入れるようになっています。
 写真左は「ニンファエウム」と呼ばれる記念噴水の跡です。アポロ神殿の正面に位置しています。噴水建設の本来の目的は異教徒の信仰の象徴であるアポロ神殿を隠し、侮辱することにあったといわれています。
 キリスト教が浸透するに従い、異教徒達の建造物は完全に破壊されるかニンファエウムのように別のもので目隠しされたのだといいます。ニンファエウムとは妖精が住むといわれる噴水という意味だそうです。
 古代においてヒエラポリスを有名にしたのは「アポロの神殿」です。「プルトニウム」と呼ばれるプルートの洞窟が近くにあり、この洞窟は地獄の悪霊が宿っていると信じられてきました。ガスが発生していて窒息死させられるところでもあったようです。これを利用して様々な宗教儀式の舞台になっていたようなのです。
 「プルトニウム」は人一人やっと入れるくらいの洞窟でした。キリスト教以前にここに発生する毒ガスは女神スィベルの司祭達が神秘信仰に基づいて患者達の治療に用いていたようです。 
 病は地獄の悪霊によって運ばれ、司祭達は患者をこの悪運から解き放つためプルトニウムに入っていったのです。噴出するガスの威力は強く牛でさえも簡単に死んでしまったいわれています。
 土地の人に「悪霊の穴」としておそれられたプルトニウムにはかん官たち、レハの司祭、女神スィベルのみ近寄ることが出来ると人々は信じていました。司祭達は頭を上げて鼻と口を閉じながら、長い時間息を止める訓練を繰り返していたので穴から再び出てこられたようです。
 都市の中心あたり、メソギスの丘の斜面には劇場があります。以前あったヘレニズム時代の劇場が地震によって崩壊しました。2世紀のハドリアヌス皇帝時代に劇場の建材を利用して現在まで残っている見事なローマ劇場が出来たのです。
 劇場の舞台の部分は3世紀、皇帝セプティミス・セベルスの時代に立て直されているそうです。中央舞台の真ん中には玉座に腰掛けたジュピターとして皇帝を表現した浮き彫りが施されており、隣にはジュリア・ドンナと皇帝の二人の息子カラカラとゲタの姿がみられます。
 15000人収容の観客席はたてに五カ所走る通路で、さらに六等分されていて指定された席が簡単に見つかるように工夫されているそうです。小アジアの全域にそれぞれ見事な作品を残した皇帝セプティミス・セベルスはヒエラポリスを特に気に入っていて金に糸目はつけなかったようです。
 ヒエラポリスはBC130年頃、ローマに侵攻されました。都市は拡張され、整然とした都市計画のもとメインストリートにアポロン神殿、テルメと呼ばれる浴場等、壮大な建造物が立ち並ぶ温泉保養都市に発展しました。歴代ローマ皇帝はこの地の温泉を愛好し、宮廷の来賓のための豪華な施設も造られたほどです。
 AD1世紀後半のドミティアヌス帝は3つのアーチを持つ凱旋門を造らせ、3世紀初め頃のセプティミウス・セウェルス帝時代には観客席50段を数えるローマ劇場ができあがっています。
 ヒエラポリスは水に恵まれていたため、ビザンチンに支配された中世には綿の栽培と紡績が発達、大穀倉地帯の中心都市としても繁栄を極めました。
 しかし、11世紀後半にトルコ人のルーム・セルジューク朝によって都市は壊滅させられます。1354年の大地震後は復興することができず、廃虚となったのです。


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