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トルコの旅    トロイ
Troie

 ベルガマからさらに北西へ約200km。トロイはトルコの数ある歴史遺産の中でも最も古い時代に文化や芸術などの最盛期を迎えたところです。別名イリオン(Ilion)。ローマ時代まで2500年以上もの間、都市や王国の興亡を繰り返しました。

 トロイの遺跡はヒッサルリクの丘の上にあります。ギリシャ、ローマ時代に繁栄しローマの母市という伝説から尊重されました。4世紀頃から衰退してやがて廃墟になったようです。ドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンが1870〜90年に、トロイの場所を発見し、遺跡発掘がなされました。

 ハインリッヒ・シュリーマン(1822〜1890)は前800年ごろ書かれたというホメロスの叙事詩『イーリアス』(ギリシャ最古最大の英雄叙事詩)の中にある「トロイの木馬」の伝説を信じ、ずっとこの文明の存在を確認することを夢見ました。そして発見したのです。

 このシュリーマン、日本では世紀の遺跡を発掘した大英雄のように扱われていますが、トルコ国内では大泥棒と酷評されています。金の冠や装飾品など「トロイのプリアモス王の宝」と呼ばれる数々の財宝、出土品は祖国ドイツに持っていってしまったからです。

 それらはドイツの博物館に保存されていましたが、第二次世界大戦後行方不明となりロシアにあるのではないかと思われています。また遺跡は全部で9層にわたる都市遺跡を形成していたにもかかわらず彼は重層構造とは知らず、遺跡を破壊しながら垂直に掘り下げてしまいました。このため、発掘作業が今もなお難航しているのです。

 トロイの木馬は前8世紀の詩人・ホメロスによる「イーリアス」と「オデュッセイア」の中に出てきます。小アジアに当時あったトロヤという国と、アカイア人による連合のギリシャとの戦争です。ミケーネ国王アガメムノンの弟の后ヘレネが、トロイの王子パリスに奪われたため起こった戦争が舞台です。

  ギリシャ軍はトロイを攻撃しました。しかしトロイは10年たっても落ちませんでした。そこで、ギリシャのオデッセウスという戦術家は一計を巡らしました。全軍がギリシャに撤退したように見せかけて戦場に、大きな木馬を置いていったのです。 トロヤ側はこれは戦利品だと思い、城内にこれを引き入れます。

 この木馬の中には50人の兵士が潜んでいて、敵の油断に乗じて、トロイの町に火を放ちます。ひそかに引き返してきたギリシャ軍は、これを合図として場内になだれこみ、ついにトロイを攻め落としたということです。

 戦いに勝ったギリシャの諸将の帰国物語はオデュッセウスとアガメムノンを中心とした多くの悲劇や美術の題材になっています。



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