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真田氏の松城(松代)移封

 真田氏は小県郡真田におこり、戦国大名として活躍したものの勢力は小県・上州沼田以上には伸びず、保身のため身内をわけて豊臣と徳川との双方に従い、関ケ原の戦・大坂冬の陣・同夏の陣をくぐりぬけ、本領小県と沼田を保持し続けた。昌幸追放後の上田城を与えられながら信之の上田入城は慎重をきわめた。しかし元和八年(一六ニ二)一〇月、幕命で参府した信之は、松城への所領替えを伝えられる。この転封は四万石の加増であり、さらに松城は名城で、北国の第一の要害であるとして特に仕置をするように命じられているところから、形式的には栄転となっている。したがって信之から家老出浦対馬守昌相にあてた書状には「誠に家の面目、外実共に残るところなき仕合せ」と書いているものの、尚尚書(追って書)のところで、自分はもはや老後に及んでおり万事いらざることと由心うが、上意であり子孫のためなので命令に従って松城へ移る、と述べており、本心はこの転封が不本意であることを吐露している。
 翌月早くも信之は家臣を伴って松城へ移っているが、真田家の所領はここに定まり、明治まで変わらなかった。
 松城を松代と変えたのは宝永年中(一七〇四〜一七一〇)のことといわれているが、それを記した旧記は焼失してしまったという。
 昌幸が上田築城して以来、信之の松城転封まで約四〇年、ここに真田氏による上田支配は終止符が打たれたのである。

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