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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市伏見区

醍醐寺
だいごじ
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
Tel 075-571-0002

下醍醐

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 深雪山(みゆきさん)醍醐寺は醍醐山全山を寺域とする京都屈指の大規模寺院です。真言宗醍醐派の総本山で全国に千もの末寺を持っています。伽藍は広く、山上の上醍醐と裾野の下醍醐に分かれ、80余りの堂塔が立っています。下醍醐には 塔頭(たっちゅう)の三宝院があり、有名な醍醐寺座主を輩出しました。
 貞観16年(874)に修験道中興の祖である聖宝(しょうほう)・理源(りげん)大師が醍醐山中に准胝(じゅんてい)、如意輸(にょいりん)の両観音像を安置し、山岳仏教の道場を開き、准胝堂、如意輪堂が建立されました。そして聖宝のあとを継いだ観賢が醍醐・朱雀・村上3帝の信仰を得て、延喜7年(907)に薬師堂が建立されました。
 五大堂が完成する頃には上醍醐の伽藍が整いました。引き続いて下醍醐の諸堂の建立が始まり、延長4年(926)に釈迦堂が建立され、天暦5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の寺観が整えられました。しかし文明2年(1470)、兵火によって五重塔を残し、ほとんどの堂宇が焼失しました。
 醍醐寺80世・義演(ぎえん)は豊臣秀吉に醍醐寺再興の助力を仰ぎました。慶長3年(1598)、秀吉は醍醐の花見を催すなどして堂宇の再建に力を注ぎました。花見の準備に1年もかけたそうです。江戸時代、徳川氏も当寺を保護し、寺領などを寄進しています。
 醍醐寺は平成6年(1994)に「古都京都の文化財」として「世界文化遺産」として登録されました。境内は特別名勝・特別史跡に指定され、6棟の国宝、10棟の重要文化財の建物があります。下醍醐には、国宝の五重塔、金堂をはじめ清龍宮本殿、不動堂、真如三昧耶堂、祖師堂、観音堂、弁天堂、女人堂などが点在しています。



醍醐寺黒門
 黒門は醍醐寺境内にある小さな門です。黒門から霊宝館や三宝院方向に桜の並木が続いています。黒門の外側には太田垣蓮月の萱葺きの仮寓跡があります。蓮月は、江戸時代後期の尼僧で、歌人、陶芸家として有名です。自分の焼き物に、自分が詠んだ和歌を入れ「蓮月焼」として、京みやげに出したそうです。
醍醐寺黒門

醍醐寺総門
 醍醐寺の総門は醍醐寺の正面玄関になります。総門から伽藍の正門となる西大門までの参道は「桜の馬場」と呼ばれ、桜の名所となっています。総門をくぐると、左側に三宝院、右側に霊宝館があり、無料で散策できる通りになっています。
醍醐寺総門

醍醐寺西大門
 醍醐寺の西大門は豊臣秀頼が金堂再建の後、慶長10年(1605)に再建した建物です。仁王像を安置しているので仁王門とも呼ばれます。当初は東大門、南大門、西大門の3つの大門があったそうです。入母屋造り、本瓦葺きの三間一戸の楼門で、昭和59年(1984)に京都府の有形文化財に指定されています。
醍醐寺西大門
 西大門に安置されている仁王像は、南大門にあった仁王像で、豊臣秀頼が醍醐寺再興の際に修理し、慶長10年(1605)に移されています。平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造られたことが醍醐雑事記に記されています。平安時代の仁王像で、造像年のわかるものは本像と京都峰定寺像(1163)の2つだけで、国の重要文化財にも指定されています。
醍醐寺西大門

醍醐寺・清瀧宮本殿(国重文)
 醍醐寺の清瀧宮(せいりゅうぐう)本殿は室町時代後期の永正14年(1517)に再建された建物です。醍醐寺の総鎮守である清瀧権現を祀る鎮守社です。永長2年(1097)、最初に上醍醐に建立された清滝宮本殿の分霊をここ下醍醐にも移して祀りました。
醍醐寺清瀧宮本殿
 清瀧宮本殿は文明2年(1470)の兵火により焼失し、現在の社殿は永正14年(1517)に再建された建物です。三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、昭和29年(1954)に国の重要文化財に指定されています。
醍醐寺清瀧宮本殿

清瀧宮拝殿
 清瀧宮拝殿は五重塔の手前、清滝宮本殿と新伝法学院の間にあります。拝殿は慶長4年(1599)に再建された建物です。清瀧宮は上醍醐が元で下醍醐に分霊されたものです。上醍醐の清瀧宮拝殿は国宝に指定されていますが、下醍醐のここは人もまばらです。
清瀧宮拝殿

醍醐寺五重塔(国宝)
 昭和26年(1951)に国宝に指定されている醍醐寺の五重塔は平安時代の天暦5年(951)に建立された、京都で最古の木造建築です。承平元年(931)、前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るため、第3皇子の代明親王が発願し、穏子皇太后の令旨で建立が計画されました。
醍醐寺五重塔
 ところが代明親王が承平7年(937) に亡くなったりしたため途中で工事は中断し、20年後の天暦5年(951)村上天皇の時に完成したのでした。本瓦葺き、三間五重塔婆で、高さは38mあります。相輪部が12.8mもあり、全体の3割を占めています。屋根の逓減率が大きく、塔身の立ちが低いため、下から見上げた時、あまり高いようには感じられません。天正13年(1585)の地震で、軒が垂れ下がるなどのダメージを受け、豊臣秀吉に援助を仰ぎ、慶長3年(1597年)に修理をしています。 昭和25年(1950)の台風でも被害を受け、10年後の昭和35年(1960)に修理が完成しています。
醍醐寺五重塔
 五重塔の木割りは太く安定感に富み、塔の初層内部の羽目板には両界曼荼羅と真言八祖を表した見事な壁画が描かれているそうです。この極彩色の壁画は日本密教絵画の源流をなすものといわれ五重塔とともに国宝に指定されています。真言八祖像にある空海像も、現存する空海の画像としては日本最古のものです。
醍醐寺五重塔

醍醐寺金堂(国宝)
 醍醐寺の金堂は紀州(和歌山)湯浅の満願寺にあった建物です。釈迦堂(金堂)は醍醐天皇の御願で延長4年(926)に創建されましたが、鎌倉時代と室町時代に2度焼失しました。豊臣秀吉は醍醐寺の再建を急ぐため満願寺本堂を移築することにし、秀頼が慶長5年(1600)に完成させました。この金堂は醍醐寺の中心になるお堂です。
醍醐寺金堂
 金堂は下醍醐の伽藍で一番最初に建てられました。創建当初は釈迦を祀る釈迦堂だったそうですが、焼失し、満願寺本堂を移築した時に、その本尊であった薬師三尊像が本尊になりました。中央に木造薬師如来坐像、脇侍に日光・月光菩薩立像が安置されています。その左右には四天王立像が配されています。
醍醐寺金堂
 金堂は間口7間、奥行5間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、平安時代後期(1086-1184)の建物です。移築の際に大改造が加えられたようで桃山時代の手法が混在しています。堂内は内陣と外陣の境に結界や間仕切りがなく、一体の空間となっている特色があります。昭和29年(1954)に国宝に指定されています。
醍醐寺金堂

醍醐寺不動堂
 醍醐寺の不動堂は金堂と祖師堂の間に建てられています。不動明王を中心に5体の明王像が安置されています。不動堂の前は広場になっていて、護摩道場として使われ、いろいろな祈祷が行われています。当山派修験道の柴燈護摩(さいとうごま)が焚かれます。(柴燈護摩とは、堂内ではなく、野外で大掛かりな護摩焚きをすることです)
醍醐寺不動堂

真如三昧耶堂
 真如三昧耶堂(しんにょさんまやどう)は不動堂の近くにあります。朱雀(すざく)天皇の御願により法華三昧堂(ほっけさんまいどう)として天暦3年(949)に創建されましたが、文明2年(1470)に焼失してしまいました。現在の堂は平成9年(1997)に真如三昧耶堂として建立されました。真如苑の開祖・伊藤真乗が興した密教法流「真如三昧耶流」のお堂となっています。
真如三昧耶堂

醍醐寺祖師堂
 醍醐寺の祖師堂は不動堂の奥にあります。慶長10年(1605)、醍醐寺80世・義演准后(ぎえんじゅごう)により建立されました。真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝とが祀られています。弘法大師の誕生日である6月15日には、降誕会(ごうたんえ)が行われます。
醍醐寺祖師堂

旧伝法学院
 旧伝法学院は下醍醐の一番奥まった所、鬱蒼とした木立の中にあります。仏道修行に志すものの錬成道場で、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)に造築されています。
旧伝法学院

醍醐寺観音堂
 醍醐寺の観音堂は金堂の奥、弁天堂の手前に昭和5年(1930)に建てられました。石を積み上げた土台にたつ宝形造の建物で、大講堂と呼ばれた建物です。本尊は平安時代末期につくられた醍醐寺最大の丈六(じょうろく)の木造阿弥陀如来坐像で、大日如来坐像、深沙大将、大黒天、地蔵菩薩なども安置されています。
醍醐寺観音堂

醍醐寺弁天堂
 醍醐寺の弁天堂は観音堂の奥の池の畔にあります。観音堂と同じ昭和5年(1930)に建てられています。堂内には、音楽などの学芸や知識の女神であるとして広く知られている弁才天(七福神の一つ)が祀られています。
醍醐寺弁天堂

女人堂
 女人堂(にょにんどう)は上醍醐へ登る入口にあり入山料を徴収しています。正式には成身院(じょうしんいん)という醍醐寺の塔頭ですが、昔は入山できない女性が此処から山上の諸仏を拝んだことから、「女人堂」と呼ばれています。現在の本堂は江戸初期の再建といわれ、本尊には、山上の准胝観音の分身が祀られています。
女人堂

醍醐寺霊宝館
 醍醐寺の霊宝館は、昭和5年(1930)、醍醐天皇千百年御遠忌に建設計画が始まり、昭和10年(1935)に開館しました。現在はリニューアルされて本館になり、新たに増築された平成館と合わせ、2つの建物になり、廊下でつなげられています。平成館には休憩スペースもあり、醍醐寺の中でも特に古い見事な枝垂桜を見ることができます。
醍醐寺霊宝館
  霊宝館は国宝や国の重要文化財だけで7万5千点以上、未指定の文化財を含めると10万点以上の寺宝を収蔵しています。彫刻、絵画、工芸、古文書など、日本の仏教史や美術史上貴重な資料が保存され展示されています。春と秋には特別展が開かれています。
醍醐寺霊宝館

醍醐の花見跡
  女人堂から上醍醐への参道の山道の途中の槍山に「醍醐の花見」を催した場所があります。畿内より集めた700本の桜が植えられ、千畳敷と呼ばれる平地に花見の御殿が建てられたそうです。女人堂から槍山の間には、長束正家をはじめ各武将により趣向を凝らした茶屋8棟が設けられました。
醍醐の花見跡



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